【代表・プロデューサーとしての上野知己①】どんなことして来た人?

心温まる、感動する音楽を専門に発信する

ミューズアート・レーベル代表の

上野知己です。


私はこれまでに

どんなことをしてきたのか?

音楽家のことに絞って書いていきます。


音楽との出会いは、3歳の時。

親戚の家にあるピアノを弾いた瞬間が

そうだと思います。


その後かなり熱心に

親にピアノを買うようにせがみ倒しました。

親は反対しましたが、祖父が賛成しました。


音楽のためではなく、

脳トレになるとのことです。

この当初どうしてなのか祖父は、ピアノが

強烈な脳トレであることを知っていました。


右脳と左脳を別々に働かせ、

指への刺激、おまけにペダルワークもある。

五線譜を読むことは、

暗算しながら弾いていることになるから…。

と、かなり正しく知っていました。


音楽家にならずに、

医者になることを祖父に約束されましたが、

とにかくピアノを買ってもらえました。


しかし即興ピアノばかりを弾いていました。

勝手なことをすると

ピアノの先生に叱られると

思い込んでいたので話しませんでした。


作曲も一番はじめにしたものは、

確か6歳の時だったと思います。

音大に受験をしたいと言い出したのは、

高校3年の夏でした。


そして武蔵野音楽大学に入学。

作曲科でもピアノ科でもなく

声楽科にいきました。


どうしてそうしたかは、いずれまた書くことにします。


在学中にロックバンドの

ボーカルをしていました。

超マニアックなプログレッシヴロックです。


インディーズ、メジャーでレコード、CDをリリースしました。

その後バンドを脱退。

他のバンドにも加入しましたが解散。


その後、

路上ライヴパフォーマンスをしました。

2年かけて都道府県全部でやりました。


その後、後のミューズアート音楽学院となる

音楽教室をはじめました。


このころから、

ラジオドラマ、ゲームミュージックの

作曲活動をしていました。


即興ピアニストとして活動をしていました。


全国の一宮神社全97社で、

奉納即興演奏を7年かけてしました。


同時に子供のための

音楽教育をしていました。

親子のための歌集CDを

自主リリースしたりもしていました。


そして現在、

ミューズアート・レーベルを

立ち上げました。


そして今に至るのですが、

現在のプロフィールは次回書きますね。

上野知己

(株)ミューズアート代表。 サウンド・プロデューサー、エンジニア、作詞家、作曲家、ピアニスト、キーボーディスト、 男性歌手。ミューズアートアート・レーベル/出版/事務所代表。ミューズアート音楽学院学長。身長174cm。武蔵野音楽大学音楽学部声楽学科卒業。
幼児向けの音感教育の一環で、歌創作教育をしている中、子供たちからのヒアリングにより誕生した歌に強く心を打たれる。 これまでの音楽活動、音楽指導で得た集大成を子供のための音楽創りに捧げると決意し、以降、子供たちの純粋な思いを込めたCD制作に打ち込んでいる。

Museart Label上野知己公式ブログ

心温まる、感動する歌と音楽を専門に発信する ミューズアート・レーベル

0コメント

  • 1000 / 1000