上野知己

(株)ミューズアート代表。 サウンド・プロデューサー、エンジニア、作詞家、作曲家、ピアニスト、キーボーディスト、 男性歌手。ミューズアートアート・レーベル/出版/事務所代表。ミューズアート音楽学院学長。身長174cm。武蔵野音楽大学音楽学部声楽学科卒業。
幼児向けの音感教育の一環で、歌創作教育をしている中、子供たちからのヒアリングにより誕生した歌に強く心を打たれる。 これまでの音楽活動、音楽指導で得た集大成を子供のための音楽創りに捧げると決意し、以降、子供たちの純粋な思いを込めたCD制作に打ち込んでいる。

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【ミューズアート・レーベル:コンセプト①】感動する、心温まる音楽を

今回は、ミューズアート・レーベルのコンセプトについて書きます。ミューズアート・レーベルは、心温まる、感動する音楽を専門に発信するレコード・レーベルです。音楽にはたくさんのジャンルがあります。ジャンルの数だけ…というよりも、音楽に一つ一つにたくさんの思いと、たくさんのドラマが詰まっています。そして音楽を楽しむ人たちの心のには、それぞれの感情が求める音楽があります。楽しい音楽。幸せな気持ちになれる音楽。元気がもらえる音楽。勇気が出る音楽。癒しの音楽。悲しみを拭ってくれる音楽。ストレス発散できる音楽。激しく心高ぶる音楽。クラシック、ジャズ、ポップス、ロック、レゲエ他、音楽表現が無数にあります。様々な楽器、歌と、多様な演奏表現があります。「人の数だけ音楽がある。」という言葉も生まれています。その人にとって、人生を変えてしまうほどの影響を与える歌もあるでしょうし、深い悲しみから救ってくれた歌手の方もおられるでしょう。何もかもがうまくいかない時、むしゃくしゃする時、ハードだったり、シュールであったり、破壊力のあるロックは、誰にも迷惑をかけずに心を暴れさせてくれます。美しい響きに、細胞が震えて、神美観を覚えた経験がある方は、音楽人生がその後大きく変わる経験をされることがあるといいます。私自身色々な音楽表現をしてきた一人です。超マニアックなロックバンドをしていたし、クラッシック音楽も、ポップスの作曲も、ゲーム、ドラマなどのBGMの作曲をしてきました。子供から大人まで、音楽指導もしてきました。私の中には音楽性の側面は多くありますが、その中で、もっとも強い思いは、心の中にある、明るさ、優しさ、思いやりのある快さ、心の安心を自分の中にも宿し、それを求めてくれて、分かち合ってくれる人に届けられたらどんなに良いだろう…。という思いです。子供たちと一緒に創りをしたことが、最も大きく影響しました。自分の思いを音楽にすることには、ある時から全く興味が持てなくなりました。独りよがりな気がして、無気力になりました。しかし誰かの思いを音楽にすることで、私の考えはまるごと変わりました。子供たちは大喜びしたし、誰かが喜ぶ姿を見て、自分がこんなに嬉しかったことも初めてでした。感動は自分の中で湧きたち、味わうものとしか知りませんでしたが、人との深いシンパシーの中で芽生えるものだと教えられました。そうなってはじめて、自分が手がけた音楽を多くの人に聞いて欲しいと思いました。そうとなれば、自分が創る音楽はたった一方向で良い。「心温まる」「感動する」音楽をそれを求めるどこかの誰かに届けたい。そう思ったからです。その思いから、ミューズアート・レーベルは、心温まる、感動する音楽を専用に発信しこうと考えました。昔から歌い継がれた、童謡の心を音楽に込めて、大人から小さな子供たちの心に届けたいと、アーティストは、一曲一曲にその思いを込めて作詞・作曲にあたり、歌に託し、歌い上げ、演奏をしていきたいと考えています。

【代表・プロデューサーとしての上野知己②】現在のプルフ・自己紹介

心温まる、感動する音楽を専門に発信するミューズアート・レーベル代表の上野知己です。今回の記事では、私の肩書きを書きたいと思います。ミューズアート音楽学院 学長即興ピアニスト即興ピアノ講師幼児音楽教育講師ミューズアート・レーベル 代表トータル・プロデューサーサウンド・プロデューサー作詞・作曲アーティストピアノ・キーボード・ボーカルアートディレクターミューズアート出版 代表自分は何をやっている人?と誰かに尋ねられると、なんて伝えたら一番よく人に伝わるのか?今だに難しく思います。〇〇の専門家であると伝えることが出来たら一番スムーズなのでしょうが、これまでの迂用曲折の末、このような肩書きになっています。ざっくりと言い換えると、音楽学校とレコード会社をやっており、自社で著作権管理をしているということです。そこで出すCDは、エンジニアとプロモート以外自社でしている…ということです。何でもやりたがりに思われることが一番嫌でしたが、思入れのあるCDをリリースするのだから、なるべく私が手がけたいという強い思いがあるので、私の仕事はこんな風に手広くなっています。こんな私とこんな会社ですが、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

【代表・プロデューサーとしての上野知己①】どんなことして来た人?

心温まる、感動する音楽を専門に発信するミューズアート・レーベル代表の上野知己です。私はこれまでにどんなことをしてきたのか?音楽家のことに絞って書いていきます。音楽との出会いは、3歳の時。親戚の家にあるピアノを弾いた瞬間がそうだと思います。その後かなり熱心に親にピアノを買うようにせがみ倒しました。親は反対しましたが、祖父が賛成しました。音楽のためではなく、脳トレになるとのことです。この当初どうしてなのか祖父は、ピアノが強烈な脳トレであることを知っていました。右脳と左脳を別々に働かせ、指への刺激、おまけにペダルワークもある。五線譜を読むことは、暗算しながら弾いていることになるから…。と、かなり正しく知っていました。音楽家にならずに、医者になることを祖父に約束されましたが、とにかくピアノを買ってもらえました。しかし即興ピアノばかりを弾いていました。勝手なことをするとピアノの先生に叱られると思い込んでいたので話しませんでした。作曲も一番はじめにしたものは、確か6歳の時だったと思います。音大に受験をしたいと言い出したのは、高校3年の夏でした。そして武蔵野音楽大学に入学。作曲科でもピアノ科でもなく声楽科にいきました。どうしてそうしたかは、いずれまた書くことにします。在学中にロックバンドのボーカルをしていました。超マニアックなプログレッシヴロックです。インディーズ、メジャーでレコード、CDをリリースしました。その後バンドを脱退。他のバンドにも加入しましたが解散。その後、路上ライヴパフォーマンスをしました。2年かけて都道府県全部でやりました。その後、後のミューズアート音楽学院となる音楽教室をはじめました。このころから、ラジオドラマ、ゲームミュージックの作曲活動をしていました。即興ピアニストとして活動をしていました。全国の一宮神社全97社で、奉納即興演奏を7年かけてしました。同時に子供のための音楽教育をしていました。親子のための歌集CDを自主リリースしたりもしていました。そして現在、ミューズアート・レーベルを立ち上げました。そして今に至るのですが、現在のプロフィールは次回書きますね。